有限会社姶良土地開発

心を耕す。

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生命を感じた時 4月15日、長女が男の子を出産、その直後に写メールで送られてきたその子の写真はコメントに困るほどくしゃくしゃだった。

2日後妻と息子二人と病院に行くときに、「赤ちゃんのコメントは考えてしろよ」と注意をしたぐらいであった。

しかし、会ってほっとした、思慮深げに眠っていた。 小さな手、足、頭、動く、生きている。あたりまえだけれど。

初孫なのでちょっと不可思議な感じ。

「1日1日体重も増え、顔も変わっていくので楽しくて楽しくて・・・」と35歳にしてこれほどの笑顔を見たことはなかった。

喜びの姿とはこういうものかと思わせるほど幸せに満ちあふれていた。 生命の誕生に勝る喜びはないとあらためて知らされる。

私は、団塊の世代として生まれ、狭い選択の余地のない価値観を信じ、ひたすら仕事人間として生きてきた。

それなりに努力し、充実した人生であったと思っていたけれど、 男の仕事が小さく思えた。 政府の役割 政府の役割とは何か?と改めて問うまでもないことだと思います。

困っている人を守ること、まずこれだと思います。 困っている人を助けるには経済的な物がいると、すぐ反論されるけれど。

たとえばこの国に、寛大な心から私財を投じて、困った人々を助け、それ以外の仕事を政府に任せるという団体があったとするならどうでしょう。政府は直ちに仕事を失い、世界中から失笑を買うと思います。

関東大震災のこと、総理大臣の管さんが、復興と財政再建を両立します、と言っていた。 1ヶ月と10日経って行方不明者13000人、幸いに生きておられる方も生活がまともにできないと言う現状、それに対してできない言い訳を聞いていたらきりがない。 これまでの政治が、いかに政治の原理原則を踏み外してきたかと思う。

命と金、解っている筈だけど、比較にならないことなど。

若いときに一時、政治に携わってきた者として、自らの力のなさもふくめて残念でならない。

前述のたとえは、森の生活者と言われるヘンリー・ディビィド・ソローの考え方です。

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